秩父人にとっての武甲山

秩父人にとって武甲山は
信仰の源であった。

秩父神社の主祭神は、今でこそ古典神格として天御中主神ならびに八意思兼神とその子孫で初代国造の知知夫彦命の三柱ですが、
先史時代は恐らく住民たちに「大神」とだけ讃えられた武甲山に鎮まる風土の自然神をはるかに遥拝する鎮守の杜が秩父神社の原型であったことは、
春の田植え祭と初冬の夜祭り斎場祭とが対応する現存の年間祭祀からも明らかに看取ることができます。

太古から恩恵を与えてくれる存在

私たちは、武甲山に守れらてきた。

太古から秩父に土着した先人たちにとっては、日ごろ朝夕に仰ぎ見る雄大な武甲山は、豊かな水源と山の幸を恵むばかりか季節のいろどりの変化に作物の時季を教え、日差しの当たり具合に日常の時刻を報せるなど生活のすべてに恩恵を受けるなかで、盆地全体の風土を治める大いなる神の山とも崇められたことは想像に難くないのです。

心の母であり、生活の支えであった。

秩父盆地の南東にしっかりと根を下ろし厳然と立ち上がった山容を持った山は、秩父山地になかで唯一の山であることから、古代より秩父盆地の人々にとって、心の母であり、日々の生活の支えでありました。
また武甲山は秩父の人々にとって農業の神でもあり、水神としての神の宿る山であると信仰しておりました。
世界ユネスコ文化遺産に指定された、秩父神社冬季例大祭俗称「秩父夜祭」は、武甲山に豊作や無事を感謝し、水の神である龍神を歓送する祭りでもあるのです。

このように、古代より秩父の人々には、武甲山は信仰の源でありました。